小樽に着いた。
確かに遊びに来た感は十分感じるけれど、小樽は観光客でごった返していた。しかも札幌より温かい小樽は、道路の雪がとけて固まり、路面がツルッツルになっていた。夜、雪のランタンにいれた灯を楽しみながらそぞろ歩きなど、転びそうで怖い。
これはちょっとだけ見て、早めに帰ろう。早く帰って来週の私のために仕事しよう。
そう思って、夕方、18時前には小樽を後にした。
だけどやっぱり、家に帰ると仕事はさっぱりはかどらなかった。
難易度の高いもの、量の多いものなど、有る程度プレッシャーがかかる仕事への取り掛かりが悪いことは認識していたが、なんとなく別の何かがある感じがした。
そんなに時間がかかるわけでも難しいわけでも量が多いわけでもないのに、どうしても手が付けられなかったり手が止まるものがある。
帰ってきてから数時間後、明日のためにはそろそろ寝た方がいいんじゃないの?という時間になるころ、
「これらの進まない仕事について、自分は何を感じているんだろう?」
とふと疑問がわいた。
私もマインドフルコーチング®の実践家の端くれである。
そもそも自分が今どういう状態なのかが認識できていないこと、力業で無理な解決に走っている可能性があることに、ようやく思い至った。
そして私は、自分の注意をコンテンツ・やるべきことに対してでなく、自分の体感覚や自分がどう感じているのかということに向けた。
…そこで感じたのは、苦痛としか言いようのない体感覚と感情だった。
ちょっと待て、何が起こってるんだ?と思った。
時間をかけながら、いろんな仕事、いろんな状況を想像し、そのときの自分に起きる感覚と感情を味わってみた。
こう書くと なんかいいことしてる風だが、はっきり言って めっちゃ苦痛だった。
強弱や種類はあるものの、基本、感じる感覚や感情の多くは苦しいものだった。
でも、それらの感情を無視してきたこと、なんならそこを感じないことにしてきたことそのものが、今の状況を作っている気がした。
だからこそ、必要なプロセスなんじゃないかと思った。
そのうち、ふと結論(仮説)があらわれた。
「今の延長線上にある未来じゃない未来を出現させるための行動を行うこと、しかもそれが自分の未来についてである場合に、ものすごい苦痛が伴い、足が止まる」
その結論を感じてみながら、ああ、そうか、と思った。
思えば、2006年の3月以降、いつ死んでもいい、明日死んでもいいと普通に当たり前に思って生きてきた。
私の人生はアディショナルタイムなんです、と思っていた。
ただ、自暴自棄にはならない、自ら命を絶つこともしない。っていうか、自分の命を優先させた私がそれだけはやっちゃいけないと思っていた。
コーチになってからは、こうなったらいいなという未来の話をすることも増えたが、その未来に自分がいるかいないかは私にとってほとんど重要ではなかったし、正直、叶ったらいいけど、そうじゃなくても仕方がないなって思っていた。
just 1day が積み重なった結果としての未来と、意図的に描いた未来に向けて行動した結果としての未来は、多くの場合、外側からは区別がつかない。
仕事は続けていれば継続が力になりスキルになりキャリアになった。
しかも、専門家としての責任は手放さない、ということだけはできるだけ守ってきたので、引きこもったり仕事を拒否したりしてきたわけでもない。むしろ、いろいろなことを身につけてきた17年だったと思う。
だけど、だからこそ、自分の内側で何を決め何が起きているのかに気づかなかったのだ。
回復する過程の中で、私は
「相手の未来を奪った私は自分の未来を創らない・設計して行動しない」
という取引をしたのだと思う。
逆にその取引をしたことで回復に向かえたとすら言えるのかもしれない。
でも、あれから17年が経とうとしている。
この考えに合理性はない。誰も喜ばない。誰も得をしない。
2006年に生まれた子たちも4月には高校2年生になる。そろそろ自分の人生を自分で決める年齢だ。
さて、どうしようか。
「そっか、わかった! よし変えよう!」といって変わるものでも、そうやって無理に変えるものでもない気がする。
ただ、人は思い込みを認識するだけで、思い込みがちょっとだけ緩む。
まずはそれで十分だと思った。
だから、ひとつだけ方針を決めた。
「わずかでも違和感を感じたら立ち止まる。そしてその違和感に意識を向ける」
注意を向けて認識すること。
コントロールは今は考えないこと。
それだけ決めて、全部ではないが大半の項目に終了チェックの入ったここまでのToDoリストを眺め、私は怒涛の3日間を終了した。