未来を変える力(1)

どうしても、ギリギリ癖をやめたかった。

いつも〆切ギリギリか〆切に間に合わなくて、相手に迷惑をかけたり、もう少し手をかけられたら。。。というものを納品するのをやめたかった。

いっつもギリギリで余裕がなくてバタバタしてて、それなのにギリギリまで手が着かなくて進んでなくて、何をしても仕事のことが気になって、という人生を変えたかった。

 

先日、2月上旬のコーチとのセッションで、結果としてこの件を扱った。

コーチングは面白い。最初に(クライアントが)口にした今日のテーマが、本当に話したいこと、あるいは本当に今考える必要のあることとは限らない。

そして、決めたことが結果としてどうなるかも、この時点ではわからない。

 

コーチングセッションを夢を語るものだと思っている人がいるかもしれないし、それもまた間違いではないのだが、コーチング、基本的には、(クライアントが語った本当に望む)未来に向かってどうしていくかを決め、行動を変える・促進する。そしてその中で成果を得たり成長をしたりしていくものだと思う。

どんなに気づきを得ようが、目から鱗が何枚落ちようが、望む未来は行動を変えない限りなかなか近づいてこない。

 

で、結局、仕事の締め切り・準備を1週間前倒しで準備し終える(いきなり締め切りや講座の1時間前にワープしても困らない状態に前の週のうちにしておく)という決断をした。

 

これ、問題はいつからどうやってやるか、ということだった。

何しろギリギリ星人の私は、なんなら今日明日の締め切りの仕事がある、もっと言うなら既にdelay状態のモノを抱えながらこれを言っている。

1週間分の仕事を前倒しするということは、実質、

既に〆切オーバーしている仕事+今週の仕事+来週の仕事

を行うことを意味する。

 

その日、私は札幌にいた。

前の週の金曜日に札幌に来て、日曜日に27,000字の資料を納品し、月曜と水曜に講座を進行し、木曜日は朝から(クライアントさんに)コーチングし、というタイミングの木曜夕方のセッションだった。

月曜の夜には東京に戻る。

せっかく大好きな雪の季節の札幌に来ていて、ようやく仕事も一段落して、「明日から3日間、冬の北海道を満喫するぞ!」というタイミングだった。

 

もちろん考えた。ものすごく考えた。この3日間を使わなくても済む方法がないか、本当に考えた。

1週間後から始める? ⇒ 否、やらないだろう。今回もそうだが、基本的に札幌から東京に戻った週は、時間も体力も余裕がないことが多い。恐らく新しい(そして多分辛い)ことを始める余裕は時間も体力も気持ちもない。

それなら2週間後から始める? ⇒ 間をあけたら、決心鈍ると思う。成功確率がすっごい下がるとわかってる方法は選びたくない。「ダメだった」「自分は変われない」という学習を(これ以上)積み重ねて強化してはいけない。

いきなり1週間分詰めないで、1日2日分くらいで計画的に前倒しを進めていく? ⇒ その計画性があったら、そもそもこの人生を送ってない。

ならもう少しやりやすそうな何か別のことを考える? ⇒ 今まで、考えられることは結構いろいろ試してきた。それでもうまくいってない現状がある。この案がいろんな意味で適切なことは内心わかっている。

だったらこの件はしばらく手を付けないでおく? ⇒ やらない…やらなかったらどうなるんだろう? 何も起きないだけだ。でも、そうじゃない気がするし、変えるタイミングな気はとてもしている。何より、このままの人生をもう続けたくない。

 

内心わかっていた。やるなら今だと。

・今回の札幌滞在日程を決めて以降、できるだけ仕事を入れないように時間をブロックしてある。つまり、他の予定が入らない空いた時間を3日間確保できているとも言える。

・火曜日に半日外出しており、どうしても行きたいところだけは、実は既に行っている。

・これ、やるとなったら多分、すごく辛い。一方、札幌は私が最も好きな場所だ。その札幌で土地の力を借りたなら、札幌でなら耐えられるんじゃないだろうか。

そんなことを思っていた。

 

こういうとき、コーチは絶対に背中を押さない。

「やってみましょうよ!」と背中を押すことは簡単だ。勢いがついて一時的な成果や行動促進は行われるかもしれない。

しかし、そうやって背中を押すことは、ある意味「やらされ感」やある種の強制力を生むことがある。ときにそれがシステムとして必要なときもあるが、今回のような長期的に何かを変える場合には、かえってクライアントのオーナーシップを阻害し、長い目で見たときの成長や学習、発達促進につながらなくなってしまう。

 

今回も、

「もし実行したとしたら、その先に何が起きるか」

「それは欲しい未来と一致しているか」

「もたらされた未来は自分にどんな影響があるか」

などを訊かれたのみで、コーチは私に決断を迫ることすらしなかった。

 

コーチングはときに残酷だ。

今回のように、自分にとって辛いこと・やりたくないけど必要なことを、自分で決め、自分と約束し、自分で実行することを自らに強いる必要が生じることが往々にしてある。

誰かのせいにすることもできないし、実行しなくても何もペナルティはなく、ただ自分の中に自分との約束を守らなかったという結果が残るだけだ。

私のような意志の弱い人間にとっては、正直、強制力が言い訳となる方がラクだったりもする。

だけど、自分の人生を自分で動かしていくというのは、そいうことじゃない。

 

もし決断しなかったとしても、何かペナルティが発生するわけではない。相手はコーチであり利害関係者ではない。何なら、私からこの話を打ち切っても問題ない。恐らく、

「では、どうしましょう」

「残りの(セッション)時間をどう使いますか」

と穏やかに訊かれるだけだ。

コーチングの関係性はある意味クールだ。

 

セッション中、なかなか決断しきれなくて、逡巡しながら思わずつぶやいた。

「これ、結構辛いし大変だし、そんなに最初からうまくいかないと思うんですよね」と。

コーチの返事が予想外に率直だった。

 

「うん、私もそう思う」

 

えっ?ここは「そう思ってるんですね」くらいに認知的共感を示すところじゃないのか?

そして、その話をするかどうか問いかけるタイミングじゃないのか?と思った。

 

コーチの言葉が続く。

「言ってしまえば脳をしつけ直すようなものだからね」

「脳の報酬系回路を変えるってことだから」

 

不思議なことに、このコーチの発言で、ああそうか、そういうことかと、妙に納得した。

やっぱりコーチングは面白い。

すぐに結果は出ないだろうこと、むしろ失敗しても再チャレンジをして継続することが必要な内容であること、このチャレンジそのものがそもそもの課題への対応と相似形であること。そんなことを思った。

 

そうか、うまくいくことをゴールにしてるんじゃなくて、出来るようになるまで継続して訓練していくことを目指してるんだ。

だから行動を決めていくシーンで通常考慮するであろう、阻害要因の検討を行わないんだ。

特定しようがないほど阻害要素はあるだろうけど、その中で意志を手放さずに進めるものなんだ。

そんな納得をした。

 

コーチングセッションで行動を決める時は、かなり繊細な調整をすることが多い。

今回(そのときには気づかなかったが)、実は実現できるであろうギリギリの内容や量を細かく確認して設定している。

効果や価値を最大化するために、敢えて必ず実行できることを設定することも多いが、今回の場合は、何を成すことが最も成果と成長に繋がるか考えた結果が、実現可能なギリギリの線を狙うことだった、ということだ(と思う)。

どこまでも甘くない。

 

一方、コーチングはクライアントをつぶすためのものではない。安全確保はコーチ・クライアント双方の責務だ。

コーチにさりげなく、

「とりあえず、どのくらいの期間、やってみる?」

と訊かれ、一瞬

「え?できるようになるまででしょ?」

と思ったが、一旦立ち止まって振り返るポイントは必要だとね、と思い、4週間で設定。

結果としてこのように「期間」という制限が付いたことで、集中できつつ追い込まれすぎなず、無限に努力せねばと思わずに済む、そんな環境を作った。

 

こうして辛い日々が始まった(笑)。

(続く)

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