コーチングセッションで、思ってもみなかったことを話し、思いもしなかったことと向き合い、想像もしなかった感情や考え、方法が未来を引き寄せることがあります。
コーチになって10年目に入り、これまでたくさんのセミナーや研修、勉強会を開催したり参加したりしてきましたし、何人ものコーチにお世話になっていますが、先日、その中でも強烈な体験をしました。
MBCC(マインドフルネスを基盤とするコーチングの実践家のコミュニティ)のコミュニティオーガナイザーのトレーニングでのことです。
トレーニングの中で、コーチングエクササイズと言って、コーチとクライアントを1名ずつ決め、実際に20分程度のセッションを行い、それを教材に学習する、ということをしました。
「詩乃ちゃんとみさちゃんで、どう?」
と振られ、一瞬「今日はコーチするのはもうしんどいな」と思った私は
「クライアントやります!」
と宣言し(笑)、クライアント役に。
そうやってセッションが始まりました。
コーチ(役)のみさちゃんとは何度もセッションをしている間柄です。
他の参加者も、MBCCの中で一緒に磨きあっている、親しいメンバーです。
しかも、何度かこれまでのコーチングエクササイズで出してきたテーマでもあります。
最初は、本当に普通にセッションが始まったのです、
コーチも、特に尖った言葉を使っているわけでもありません。
むしろ、みさちゃんコーチは柔らかです。
それなのに。
どんどん、
「話したくない」
と思っている自分に途中で気づきました。
話したくない、というよりは
「考えたくない」
でした。
後から考えると、自分の中の
「他人には決して知られたくないこと」
でもありますが、何より、
「自分自身が見たくない、向き合いたくないこと」
に話が及んでいると、無意識で気づいていたのだと思います。
しかも、このコーチングセッションは、トレーニングの教材にするためのものです。
後でセッションを振り返られ、議論の題材にされることがあらかじめわかっています。
胃も気持ちも重くなり、
「話したくない」「これ以上続けたくない」と思い(思うどころか実際に「話したくないと言っていたらしい)、
「このセッション、後で振り返られるんだよな。絶対嫌」と思いつつ、
「こんなに嫌なことを続けている自分はマゾなのか?」等々も考えつつ、
ただ、どうしても
「ごめん、ここでやめよう」
とは言えませんでした。
なぜやめられなかったのかは、今でもわかりません。
コーチがみさちゃんで、オブザーブがあのメンバーだった、ということも含めて、
「神様が決めた向き合うタイミングだった」としか言いようがないです。
セッションが終わって、とにかく心臓がドキドキバクバクしていたことを覚えています。
ただ、セッション中もですが、この時点で、自分がなぜそこまで反応しているのか、その話が自分にとってどんなことを表しているのかは、認識していませんでした。
しかも本来、セッションよりもむしろ、セッション後の振り返りで、コーチのコーチングについて学びあうべきエクササイズなのに、行われたコーチングに関するディスカッション内容はほとんど覚えていません。
ただ、クライアントや話の内容そのものについてではなく、コーチのコーチングについてフィードバックやディスカッションをすることを守り抜いたメンバーのプロ意識と、
混乱している私に対する気遣いというか、compassionを感じていました。
ここまでで話を終わりにすれば、
「大きく感情が揺れたコーチングセッションを体験したんだね」
で終わるのですが、私もコーチの端くれです。
起きたこと、感じたことをただの辛かった体験にせず、振り返り、自分の糧にせずにはいられません。
しかも、今回は「免疫マップ」が題材です。
(コーチの問いやフィードバック、共感も含め)セッション内容を免疫マップを軸に、振り返り、可視化してみました。
・・・吐きそう。。。
そこには、自分が分厚い言い訳をしながら叶えたい未来に逆行していること、
それは自分の強固な思い込みが選択している行動であること、
それによって不安を鎮めていること、
そんなことが浮かんでいました。
しかも「今回のことで衝撃を受けている」という事実は、逆に、
「普段、いかに本音を話していないか」
「いかに自分の感情に気づかないようにしているか」
ということの裏返しであることにも気づきました。
「あぁ、やっぱり、自分は嘘つきで行動しない人間なんだなぁ」と落ち込んだのですが。
「自分はできない」「自分はダメだ」と自分を責めることで、行動や状況を変えられない言い訳にしてはいけない、
自分を責めるためではなく、自分の望む未来のために使うものだ、
と、思い直しました。
「嘘つきで行動しない」は事実もしれないし、思い込みかもしれません。
だからできない、だからダメ、も私の判断であり、事実かもしれないし、事実でないかもしれません。
でも、目の前の確かな事実は、
「私がどういう人間であれ、少なくともあの場に共にいてくれた仲間いる」
ということだけです。
今いる場所、普段やっていること、信じていることなど「いつものこと」から離れる事。変化をすることが恐怖を伴うのは当たり前です。
ですが変化の先に「行きたい未来」があるのなら、
今ここにある事実を見ながら、行きたい未来に向かおう。
そう思います。
「で、結局、どんな言い訳で何をしていたの?」
という問いに、笑って答えられるようになったときが、
「そのことを乗り越えられたとき」
なんだろうな、と思います。
久しぶりに、大きな感情の揺れを体験し、
気恥ずかしさも感じつつ、
変化を起こす決心をしました。
この体験が、自分だけでなく、未来の私のクライアントさんの糧にもなると信じて。
関口詩乃