札幌マルヤマンとコーチングと私(14)

こんにちは。薬剤師コーチの関口詩乃です。

このお話は「札幌マルヤマンとコーチングと私」
第1章:円山動物園に行くまでの経緯:(1)(2)(3)(4)(5)
第2章:円山動物園で見たこと:(6)(7)(8)(9)(10)(11) 、
第3章:講演実現まで:(12)(13) の続きです。

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とにかく「いろいろな人に話して反応やアイデアをもらおう」と考え、折を見ては友人や周囲の人たちに円山動物園の話をした。

東京で講演してほしい、その講演会を開きたいのだ、という話をした。

 

こうして周りに話し続けること4年。

 

2014年の冬ごろから、本当に開催するならそろそろリミットだ、というところまで来ていると感じていた。

そろそろ事例の賞味期限の問題も出始める。
だが、相変わらず開催の目途は立っていなかった。

ある程度の規模で開催できる、コンセプトの合う、主催をお願いできる組織を見つけられないでいた。

 

その一方で、
「開催するなら協力するよ」
と言ってくれる人も現れ始めた。

 

そんな状況で迎えた2015年1月。

 

どうしても雪の札幌に行きたくて、札幌に行った。

お世話になっている方のご子息が北大を受験するというので、北大グッズだけでなく、北海道神宮のお守りをプレゼントしようと思い、北海道神宮に行くことにした。

自己啓発業界では、

「神社はお願いに行くところではなく、お礼に行くところです」

という話がある。

それは重々承知しているが、北海道神宮で、

「円山動物園の再生のお話を東京でしてもらえますように」

と、思わず神頼みしてしまった(笑)

 

ところで。

北海道神宮と円山動物園はとても近い。

もちろん、冬の円山動物園に行ってきた。

とにかくまず、開催の見込みをつくろうと思っていたところに、2015年の初夏、

国際コーチ連盟日本支部(ICF Japan)のカンファレンス運営の話が来た。

 

「組織へのコーチング導入」の事例を話せるスピーカーを知らないか?と訊かれ、「これだ!」と思った。

 

ICF Japan は新しい組織だ。

そして、「どこで学んだ」などある種「流派」を問わない、プロコーチの職業団体だ。

できるだけ偏りの少ない、新しい枠組みで講演会を開きたいと願っていた私にとって、ICF Japanでの開催は、「これだ!」と思った。

 

このときの話し合いが、今回の物語の冒頭である。

 

話し合いの結果、

「講演してもらえるかどうか、とにかく交渉してみよう」

となった。

 

だが、ここで冷静になってみると、

いざ交渉しようにも、私は北川さんの連絡先すら知らない。

 

本当は、講演依頼は、知っている人を介したり、何らかのツテを使うことが多い。

その方が互いに安心で安全だからだ。

いきなり電話をかけて講演をお願いするというのは、かなりの不審者だという自覚はあった。

 

でも、これを逃したら、次のチャンスはあるかどうかもわからない。

ましてや、カンファレンスの準備自体も、ギリギリの日程で動いている。

知っている人が、などと言っている場合ではない。

人を介して連絡を待っている余裕はない。

 

既に動物園から別部署に異動していることは知っていた。

しかし、知っているのは「異動した」ことだけであり、詳しい移動先はわからない。

 

そんなときにはまたまたインターネット。

検索すれば所属は検討がつく。

 

しかも、行政の部署の連絡先は、かなりの確率で公開されている。

あとはそこの部署に電話をかければいいだけだ。

 

大概の電話はかけ慣れているはずなのに、もの凄く緊張した。

ICFJのプログラムミーティングの場でかけているので、周りのメンバーも心配そうである。

 

電話に出てくださった女性(以下Fさん)に、北川さんに講演を依頼したいことを告げると、

「今年の4月に異動しました」

とのこと。

えっ?更に異動??

 

だが、ここであきらめてはいけない。

S「もしよろしければ、異動先をおしえていただくことはできますか?」

 

F「どのようなご用件ですか?」

・・・当然の質問である。

 

S「北川様にご講演をお願いしたいんです」

F「観光企画課長(2015年度までの北川さんの役職)の講演ということですか? それとも北川にですか?」

・・・そりゃそうだ。

 

S「円山動物園のリスタートのことを講演していただきたいんです」

 

Fさんは、しばし考えこむかのような沈黙の後、

「北川は豊平区の地域振興課に異動しました」

と教えてくれた。

 

S「豊平区役所に電話すればよろしいでしょうか?」

と突っ込むと、

F「北川の電話番号をお伝えしますか?」

と言ってくださり、電話番号を教えてくださった。

 

(余談だが、市外局番の011を省略して市内局番から教えてくれるのを聞き、

「きっと、市内からの電話だと思われてるんだなぁ」

とちょっと和んだ)

 

聞きだしておいて言っては何だし、あのときは

「これで北川さんに連絡できる!」

と舞い上がっていて気づかなかったが、あのとき連絡先を教えてくださったFさんは、連絡先を教えてよいものか悩まれたのではないか?と思う。

 

あそこで断られたら、異動して半年以内の時期に部署を特定することはとても難しかった。

もし、他の手段で連絡をとるとしても、ICF Japan側の時間の制約に間に合わなかっただろう。

 

今振り返ると、いろいろな人のチカラに守られて実現したとしか思えないが、Fさんも間違いなくその1人である。

 

(続く)

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